「今を生きる」とは何か

 「未来を想像する能力を手に入れた人間は、『自分が死ぬ』という未来も想像できるようになってしまった。挙げ句の果ては、『人は死んだらどうなるのか?』とか、『人は何のために生まれてきたのか?』とか、考え出す。そして、『生きるのがつらい』とか、『死んで楽になりたい』とか、とても生き物とは思えないようなことを言い始める。そんな生き物は他にいない。そんなことを考えるのはヒトだけだ。すべての生き物は『今』を生きている。大切なのは『今』である。今、命があるのだから、その命を生きればいい。ただ、それだけのことである。」(稲垣栄洋『生き物の死にざま はかない命の物語』草思社 2020年7月14日 p216-p217)

 稲垣は「すべての生き物は『今』を生きている。大切なのは『今』である。今、命があるのだから、その命を生きればいい。ただ、それだけのことである」と書いたが、この文章はとてもわかりにくい文章である。つまり「今を生きる」とはどんな生き方なのか。それがハッキリと明確になっていない。

 そもそも「今」とは何だろうか。

 稲垣は「今」について、過去と未来の間の「点」、絶えず過去から未来へ移動している今=現在時点のことを「今」と言っているのだろうか。つまり、「今」とは時間的にはリニア時間(直線時間)上を刻々と運動していく点としての「今」のことだろうか。では、「今」を生きるとはいかなることを意味しているのだろうか。

 今という時間について考えると、「今を生きる」ことのわかりにくさが露呈する。