2017-01-01から1年間の記事一覧

明日はどこから来る

「明日はどこから来るのか」という子どもの問いがある。それは、A系列の時間(「今現在」を基準にした時間)とB系列の時間(歴史年表のような空間化した直線的時間)との不整合(一方を実在、他方を不在としなければ整合しないから)さを疑問に思う子ども…

哲学における心身問題

茂木健一郎氏などの脳科学者たちは、われわれの心的活動は「ニューロンの発火」であり、そのようなものとして、説明し尽せるだろうと意気込んだが、茂木の著書『脳とクオリア』ではうまく説明ができていない。「私という存在者=現存在」が大脳の新皮質前頭…

カント「純粋理性批判」について(続)

中山元氏訳の第一分冊は超越論的感性論となっており、そのすべてが「空間について」と「時間について」である。カントの認識論の非常に詳細な説明で、読解するのにさほどの困難はないと思われる。 しかし、個々の用語をしっかりと腑に落としておかないと、困…

カント「純粋理性批判」について

序文 緒言 Ⅰ 超越論的原理論 第一部門 超越論的感性論 第二部門 超越論的論理学 緒言 超越論的論理学の構想 第一部 超越論的分析論 第二部 超越論的弁証論 緒言 第一篇 純粋理性の概念について 第二篇 純粋理性の弁証的推理について 第一章 純粋理性の誤謬推…

不在の哲学

中島義道は、『不在の哲学』で書いている。 「これまで、さまざまな哲学者が無について語ってきたが、そのほとんどは(私見によれば)不在なのであって、無ではない。無と不在との違いの一つは、前者にはそれを語る視点がないが、後者にはその視点があるとい…

死生学

岩崎大『死生学ー死の隠蔽から自己確信へ』 岩崎大氏は『死生学ー死の隠蔽から自己確信へ』(春風社、2015年1月25日)で書いている。 「『死とは何か』の答えは『生とは何か』の答えとして十分ではない。死を『生きていないこと』、『生の否定』とするならば…

ハイデガー

ハイデガーは1889年、「南ドイツの深々とした田園地帯(メスキルヒというドナウ川の近くの町であるー引用者)に、カトリック教会(聖マルティン寺院)の堂守の子として生まれた。質素な生活。だが世界は満ちたりていた。伝来の信仰がそれを補強した。秀抜な…

鹿野忠雄の文章

「風表を除けて谷間に下りたせゐか、風当りは弱くなって、やがて何時ともなく静まつた。柔い触感を以ってソットかき抱く様なベニヒとニヒタカゴエフの麗しい針葉。森の木下道は人の心を優しくする梢を通して漏れて来る雨滴の音に聞き入り、無邪気な小鳥の声…

経験主義について

野矢茂樹は野矢の師匠だった大森荘蔵を評して、こう書いた。 「大森は生涯経験主義者であり、かつついでに言わせてもらうならば、独我論者であった。」(野矢茂樹『大森荘蔵―哲学の見本』講談社、2007年p.181) 経験主義者とは、経験を超えるものを否定する…

「人生はまともでない」か

「人生はまともじゃない。ひとは断りなしになかに入ってきて、行く先もわからずに出て行く。しかもそこにいるときは何をしているかわかっていない。」(作者不詳) 上記の文章を、その真意を損なわないように読み砕いてみた。 ①「人生はまともじゃない。」つ…