<いま>というものの不思議

今日、一週間、一年がずっと続くような感じがする。日常生活というものは、三回の食事をはじめ、一見繰り返しのように極めて類似した形式をとっているが、一つとして同じ今日、一週間、一年というものは本当はない。しかし、同型的な繰り返しに近い形式であ…

明日はどこから来る

「明日はどこから来るのか」という子どもの問いがある。それは、A系列の時間(「今現在」を基準にした時間)とB系列の時間(歴史年表のような空間化した直線的時間)との不整合(一方を実在、他方を不在としなければ整合しないから)さを疑問に思う子ども…

哲学における心身問題

茂木健一郎氏などの脳科学者たちは、われわれの心的活動は「ニューロンの発火」であり、そのようなものとして、説明し尽せるだろうと意気込んだが、茂木の著書『脳とクオリア』ではうまく説明ができていない。「私という存在者=現存在」が大脳の新皮質前頭…

カント「純粋理性批判」について(続)

中山元氏訳の第一分冊は超越論的感性論となっており、そのすべてが「空間について」と「時間について」である。カントの認識論の非常に詳細な説明で、読解するのにさほどの困難はないと思われる。 しかし、個々の用語をしっかりと腑に落としておかないと、困…

カント「純粋理性批判」について

序文 緒言 Ⅰ 超越論的原理論 第一部門 超越論的感性論 第二部門 超越論的論理学 緒言 超越論的論理学の構想 第一部 超越論的分析論 第二部 超越論的弁証論 緒言 第一篇 純粋理性の概念について 第二篇 純粋理性の弁証的推理について 第一章 純粋理性の誤謬推…

不在の哲学

中島義道は、『不在の哲学』で書いている。 「これまで、さまざまな哲学者が無について語ってきたが、そのほとんどは(私見によれば)不在なのであって、無ではない。無と不在との違いの一つは、前者にはそれを語る視点がないが、後者にはその視点があるとい…

死生学

岩崎大『死生学ー死の隠蔽から自己確信へ』 岩崎大氏は『死生学ー死の隠蔽から自己確信へ』(春風社、2015年1月25日)で書いている。 「『死とは何か』の答えは『生とは何か』の答えとして十分ではない。死を『生きていないこと』、『生の否定』とするならば…

ハイデガー

ハイデガーは1889年、「南ドイツの深々とした田園地帯(メスキルヒというドナウ川の近くの町であるー引用者)に、カトリック教会(聖マルティン寺院)の堂守の子として生まれた。質素な生活。だが世界は満ちたりていた。伝来の信仰がそれを補強した。秀抜な…

鹿野忠雄の文章

「風表を除けて谷間に下りたせゐか、風当りは弱くなって、やがて何時ともなく静まつた。柔い触感を以ってソットかき抱く様なベニヒとニヒタカゴエフの麗しい針葉。森の木下道は人の心を優しくする梢を通して漏れて来る雨滴の音に聞き入り、無邪気な小鳥の声…

経験主義について

野矢茂樹は野矢の師匠だった大森荘蔵を評して、こう書いた。 「大森は生涯経験主義者であり、かつついでに言わせてもらうならば、独我論者であった。」(野矢茂樹『大森荘蔵―哲学の見本』講談社、2007年p.181) 経験主義者とは、経験を超えるものを否定する…

「人生はまともでない」か

「人生はまともじゃない。ひとは断りなしになかに入ってきて、行く先もわからずに出て行く。しかもそこにいるときは何をしているかわかっていない。」(作者不詳) 上記の文章を、その真意を損なわないように読み砕いてみた。 ①「人生はまともじゃない。」つ…

キューブラー=ロス『死ぬ瞬間』

2016.7.11 キューブラー=ロスは『死ぬ瞬間』という著書で、死に直面した人間の気持ちを下記のように分類した。(出典は下記) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E3%81%AC%E7%9E%AC%E9%96%93 第1段階 「否認」 患者は大きな衝撃を受け、自分が死ぬと…

不死でありたい信仰

人間がこの世を去らざるをえない事態は、予測できない。だから、死ぬのならば、がんがいいと言われる。ある程度の猶予期間があるからだ。そして、「死に至る病」になったとき、では、「自分だけがいない世界」に、何か痕跡を残そうと思う人もいるだろう。 R…

中島義道の『不在の哲学』(ちくま学芸文庫)から

中島義道氏の最新刊『不在の哲学』(ちくま学芸文庫、2016年2月10日)では、「不在」という概念が非常に大切なキー概念となっている。 哲学のアポリア(哲学的難問)のひとつに、「ものの見え方とその認識」というものがある。われわれがあるひとつの物を見…

ティーガー戦車について

エゴン・クライネ、フォルクマール・キューン『ティーガー 無敵戦車の伝説1942-45』大日本絵画1991年にはティーガー戦車がどれだけ生産されたかが、書いてある。 ティーガーIE型 1942年(4月~12月) 83両 1943年(1月~12月) 649両 1944年(1月~ 8月) …

死について

中島義道氏は『「生きることも死ぬこともいやな人のための本』(日本経済新聞社2005年p201あたり)で、死について次のように書いていた。(要約 —ひとがある日、完全に消滅してしまうこと。この宇宙の果ての果て、何億光年の時間が経過しても、ひとは生き返…

今日一日の生活

「今の生活は、また、明日も明後日もできるのだと考えずに、楽しんで芝居を見るときも、碁を打つときも、研究をするときも、仕事をするときも、ことによると、今が最後かもしれないという心がまえを、終始もっているようにすることである。そして、それが、…

生と死を考える

宇都宮輝夫氏は『生と死を考える―宗教学から見た死生学』(北海道大学出版会、2015年3月31日)で次のように書いている。 すべての人類史における、ほとんどすべての人間は「断ちがたい惜別と大きな悲しみの中で、人はつつましく死んでいったのです。彼らは生…

馬鹿の記念に

今年1月8日の予算委員会より、民主党の予算委筆頭理事である デマノイ和則の質疑から。(出典は以下のブログ)http://ttensan.exblog.jp/ -----山井「4日連続株価下落で7兆円運用損が続いてる!」 安倍首相「はい、安倍政権に入ってから40兆円規模で運用益を…

拒否したい事実に対して

ヘーゲルは『精神現象学』(作品社、1998年)に以下のように書いている。「かつてイメージの分析なるものが盛んにおこなわれたが、それは既知の形式を廃棄するものにほかならなかった。一つのイメージを原初の要素へ分解することは、少なくともだれでもが手…

過誤・錯誤を犯さない方法はない。

2015.11.6 人間は後ろ向きに新しい時代に入っていくとある経済学者は言った。「後ろ向き」とは「過去」を見つめながらという意味だろう。人間はそうせざるを得ない。なぜなら、未来はわからないし、見えないし、そもそも存在しないものだからだ。それに引き…

日々の随想

2015.9.20 過去物語りについて 小林秀雄が「歴史について」の中で、思い出に生きる老人のことを書いている。その思い出を語る老人は、「まことに微妙な、それと気づかぬ自らなる創作」のように「過去を作り直して」「過去の風情を色どる」ものらしい。 実際…

日々の随想

心の平安を保つために 心の平安が乱される原因のひとつに思いどおりにならないということがある。いらいらしたり、むしゃくしゃしたりするのは、思いどおりにならないからである。「こうなればいいな」または「こうなるべきだ」といった期待や当為は裏切られ…

日々の随想

心の平安を得るために こういう言葉がある。「変えられるものは変える努力をしましょう。変えられないものは、そのまま受け入れましょう。起きてしまったことを嘆いているよりも、これからできることを皆で一緒に考えましょう。」(加藤諦三) このごろ私は…