キューブラー=ロス『死ぬ瞬間』

2016.7.11

 キューブラー=ロスは『死ぬ瞬間』という著書で、死に直面した人間の気持ちを下記のように分類した。(出典は下記)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E3%81%AC%E7%9E%AC%E9%96%93

第1段階 「否認」

患者は大きな衝撃を受け、自分が死ぬということはないはずだと否認する段階。「仮にそうだとしても、特効薬が発明されて自分は助かるのではないか」といった部分的否認の形をとる場合もある。

第2段階 「怒り」

なぜ自分がこんな目に遭うのか、死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階。

第3段階 「取引」

延命への取引である。「悪いところはすべて改めるので何とか命だけは助けてほしい」あるいは「もう数ヶ月生かしてくれればどんなことでもする」などと死なずにすむように取引を試みる。(絶対的なもの)にすがろうとする状態。

第4段階 「抑うつ

取引が無駄と認識し、運命に対し無力さを感じ、失望し、ひどい抑うつに襲われなにもできなくなる段階。すべてに絶望を感じ、間歇的に「部分的悲嘆」のプロセスへと移行する。

第5段階 「受容」

部分的悲嘆のプロセスと並行し、死を受容する最終段階へ入っていく。最終的に自分が死に行くことを受け入れるが、同時に一縷の希望も捨てきれない場合もある。受容段階の後半には、突然すべてを悟った解脱の境地が現れる。希望ともきっぱりと別れを告げ、安らかに死を受け入れる。

 しかし、宇都宮輝夫氏が『生と死の宗教社会学』(「ヨルダン社、1998年04月28日)で書いているのだが、この5段階はすべての人が通るコースではない、と私も思う。言わば「死にゆく人の発展段階説」での「リレー競争」のような展開はないだろう。そうではなく、「格闘技場での格闘」であって、5つの「段階」ではない「類型」であり、その人の心情の中で、5つの類型の感情が鬩(せめ)ぎ合う、というのが実態だろう。特に最後の「受容」など、到底ありえないと思う。最後の最後まで、「否認」と「怒り」のままの人もいるだろう。病気がその人の体力と思考力と感情を奪い取るから、それが態度に出ないだけだろうと思う。



不死でありたい信仰

人間がこの世を去らざるをえない事態は、予測できない。だから、死ぬのならば、がんがいいと言われる。ある程度の猶予期間があるからだ。そして、「死に至る病」になったとき、では、「自分だけがいない世界」に、何か痕跡を残そうと思う人もいるだろう。

 R・J・リフトン、E・オルソンは共著『生きることと死ぬこと』(金沢文庫、1975年)で、それを「不死」の信仰と名づけた。正確に言い直せば「不死でいたい信仰」だろうが、痕跡はその人の不死ではない。単に微かな縁(よすが)にすぎないのであるが、痕跡までがなくなるのは耐えがたいからだろうか。(宇都宮輝夫氏の『生と死の宗教社会学』(ヨルダン社1998年04月28日からの孫引き、p153参照

①象徴的不死信仰(世界の永続性を信じ、自分が死んでも、子や孫に自分の血は受け継がれていくので、そうした意味では、私は不死だと信じること)

 リチャード・ドーキンスらが「利己的遺伝子」という考え方を提起したが、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%B7%B1%E7%9A%84%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90

まさしく、こうした象徴的不死信仰を持つ人は、自分の遺伝子がずっと受け継がれ、永遠の生命を生きていくと想像したとき、ある程度のわずかばかりの満足を持って死んでいけるのかもしれない。また、現代中国人の祖先崇拝もこれに分類されるだろう。

 しかし、どう考えても、単に遺伝子が受け継がれていくだけであり、子孫の様子を「草葉の陰」から見守ることはできないのではないか。つまり、見守ることはできないが、元気に生き抜いてほしいという願いなのだろう。

②創造的不死信仰(何らかの仕事を成し遂げることによって自分の死後も永続的な影響を及ぼし、名前や業績など自分の生きた痕跡を残そうとする不死信仰)

 これは、かなりの人々がはまる不死信仰ではないか。学者、科学者、技術者、政治家、実業家などにかなり広範囲に広がっている不死信仰だろう。

③自然的不死信仰(自然との一体化による不死信仰)

 死んだ人が埋葬された後に生い茂った「草葉」は、形を変えた自分だと思うこともあるかもしれない。しかし、実際は、単に肉体を構成する物質が分解されて植物の養分になったに過ぎないのだが。樹木葬を選ぶ人は、こういう人なのかもしれない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%B9%E6%9C%A8%E8%91%AC

④神学的不死信仰(「霊魂の不滅、個人の再生・復活による不死信仰)

 これはまさしく文字通りの不死信仰ではある。

リフトンたちが分類した不死信仰は以上だが、まだあるのではないか。

⑤民族共同体の一員として、自己を不可分の共同体構成メンバーとする、不死信仰

①~③の考えを持つ人は、死というものが、虚無(空無)への入り口だと信じる現代人のありうる気持ちだろう。愛する家族や友人たちとの惜別は断ちがたいし、大きな悲しみ、もしくは「怖い」という恐怖心、「生命飢餓感」(岸本英夫)は死ぬまで消えないのだから。

 さて、それでは、「生きた証」という痕跡を残さなくてもいいと思う人、あるいは結果として残すことができなかったと思う人がいたら、その人は、では、上記のような、ある程度のわずかばかりの満足をどのように持って死んだらいいのだろうか。

 

 

中島義道の『不在の哲学』(ちくま学芸文庫)から

中島義道氏の最新刊『不在の哲学』(ちくま学芸文庫、2016年2月10日)では、「不在」という概念が非常に大切なキー概念となっている。

 哲学のアポリア(哲学的難問)のひとつに、「ものの見え方とその認識」というものがある。われわれがあるひとつの物を見るとき、正面から見れば正方形でも少しずつ移動していくと、それが変形して見える。仮に写真を撮るとする。正面、右側面、左側面、裏面、真上、真下。(実際には写真を撮ることはできないが)それぞれの写真は、一方向からの同じ物の写真だが、それらが、一つの「机」と真に認識できるのはなぜか、という問題である。つまり、机を一方向から見たとき、裏側は見えないが、裏側も裏に回ればちゃんと見えるはず。われわれは、物をそのように総合(結合)して認識しているのだが、それはどのようにしたら可能となるのか。

この疑問をもう一度、「一般的に記述し直すと、S1(一人の主体である人間)がある対象Gを特定のパースペクティヴ(視角)P1から、すなわち特定の射映(フッサールの用語で、物の心像のこと)A1において知覚しているとき、他のパースペクティヴ群Pfからの射映群Afもまた、S1に『不在』として現出してくる。S1は有機体として自己中心化していて<いま>はGを特定のパースペクティヴ(視角)P1から、すなわちGの射映A1しか知覚しえないのだが、同時に自分が現に有していないPfあるいはAfをも端的に不在として知覚するのである。これは想像ではなく、推量ではなく、S1が一つのGを自分がP1から(A1において)現に知覚するや否や、生ずる端的な承認なのだ。ちょうど、S1がひとりでGを知覚しているときに、すでにその裏側や自分に見えない諸パースペクティヴをごく自然に承認しているように。」(中島、前掲書p.42)

 どうしてそれが可能になるのか。中島氏によれば、それは、言語を習得したからだという。言語では、「ないこと」(不在)が表現できる。「見えない」とは、単にP1から見えないだけで、パースペクティヴをずらせば、見ることができる。「端的に不在として知覚する」とはそうしたことをいう。それは言語の中でも、数学的帰納法によく似た数列によって理解するということだ。「端的に不在として知覚する」とは、物をPfとして、つまりP1+P2+...+Pnの集合として知覚するということである。そして、われわれは、確かに「その裏側や自分に見えない諸パースペクティヴをごく自然に承認している」。

ティーガー戦車について

エゴン・クライネ、フォルクマール・キューン『ティーガー 無敵戦車の伝説1942-45』大日本絵画1991年にはティーガー戦車がどれだけ生産されたかが、書いてある。

 

ティーガーIE型

1942年(4月~12月)      83両

1943年(1月~12月)    649両

1944年(1月~ 8月)         623両

        合計        1355両

 たった1355両である。ちなみに、T-34は57000両である。

 http://dic.pixiv.net/a/T-34

 

 この偉大な戦車が、5万両生産されていたら、独ソ戦の様相も変わっていただろう。しかし、そうした仮定はほとんど無意味だということは確かだ。少なくとも、T-34戦車が登場したときにすでに量産されていたら(この仮定は、量と時期の仮定である)、ひょっとして、独軍のモスクワ占領も可能だったかもしれない。

 しかし、量産も無理だったし、時期も遅すぎるのである。

 

死について

中島義道氏は『「生きることも死ぬこともいやな人のための本』(日本経済新聞社2005年p201あたり)で、死について次のように書いていた。(要約

—ひとがある日、完全に消滅してしまうこと。この宇宙の果ての果て、何億光年の時間が経過しても、ひとは生き返ることはない。かつ、宇宙、とりわけ、この地球もいつか(あと5億年か?途方もない時間ではある)終焉を迎える。

 ただし、人間は自分の死を経験しても、他人に伝えることができないので、いま・ここで生きている人間は、人間の死後がどうなるのかわからない。したがって、とりあえずの現代科学がなす予想にすぎない。死後どうなるかは、誰にも言えないが、はっきりしているのは、現世でのいまのような生活はできないということだ。だから、上のように言っても、死後の世界があっても、死の意味はおなじようなものだ。 

 しかしながら、死のことを考えるのはものすごく恐ろしい。昔、ぼくもその考えに囚われて、恐怖に冷や汗をかいた憶えがある。これは誰でもが経験するものではないようだ。こうしたことを普通の人は考えないらしい。生の不条理とはこのことなのに。本来、死は覚悟するべきものだが、いつもはごまかして生きるものだという。そうでなければ日々の暮らしをすすめることができないからだ。

 ただし、正確に言うと、「死を見つめることを避け、死に至っていることを自覚も覚悟もしない」という「世人」の態度は、ニーチェが言ったような、「虚偽、しかもそれなしには人間が生きてゆくことができない虚偽」の態度なのではないか。ニーチェはそうした「虚偽」をこそ、世人は「真理」なのだと言うと言った。

 

今日一日の生活

「今の生活は、また、明日も明後日もできるのだと考えずに、楽しんで芝居を見るときも、碁を打つときも、研究をするときも、仕事をするときも、ことによると、今が最後かもしれないという心がまえを、終始もっているようにすることである。そして、それが、だんだん積み重ねられてくると心に準備ができてくるはずである。その心の準備が十分できれば、死がやってきても、ぷっつりと、執着なく切れてゆくことができるのではないか。」(岸本英夫『死を見つめる心』)

岸本の「今が最後かもしれないという心がまえを、終始もっているようにすること」などできるものだろうか。「今の生活は、また、明日も明後日もできる」だろうと思うに違いない。「心の準備」などいつまでたってもできないのではないかと思う。「心の準備」というものは、自ら行うことは到底できるものではない。むしろ、死期がむこうからやってくるものだろう。そして「死期が近い」かもしれないという予感は、自らの身体の変調を敏感に感じ取ることで自分の意識にのぼってくるのではないだろうか。そして、一晩また一晩と眠りにつく前の気持ちの中で、「このまま目覚めないことが、死ということだろうか」という思いを幾度も反芻していくのではないだろうか。そして、身体の変調は、ある日その兆候を大きくし、それを受け取った「私」は、徐々に死というものを覚悟してゆくということではないか。その覚悟も、「死がやってきても、ぷっつりと、執着なく切れてゆく」という潔いものではなく、「明日は、明後日は」という執着に苛(さいな)まれつつ、身体の多臓器不全状況の中で、その執着の気力そのものがそがれていくのだと思う。

 そうした病床にある人にとっては、生の目標は、一日一日をとにかく生きて過ごすことなのだ。一年後ではなく、今日一日の生活こそが大事なのだ。

生と死を考える

宇都宮輝夫氏は『生と死を考える―宗教学から見た死生学』(北海道大学出版会、2015年3月31日)で次のように書いている。

  すべての人類史における、ほとんどすべての人間は「断ちがたい惜別と大きな悲しみの中で、人はつつましく死んでいったのです。彼らは生をあきらめたのであって、死を進んで受け容れたのではありません。精一杯生きたという何ほどかの充実感を持ち得た時にのみ、人は悲しみつつも生を手放す勇気を持ったのです。」(同書p143-144)

 死を受容するということは死にたいと思うことではない。当たり前だが人間は生を去ることを積極的に選びたいと思う人はいない。死後の世界に憧れるようなカルト的狂信がない限り、あるいは、何らかの召命による覚悟の自死でもない限り、できれば死にたくないと思うものだ。また、死後の世界があると信じている人であっても、現世での生を自殺的行為で終了させたいとは思わないものだ。しかし、死にたくないと思うことと死を受容しないということは、常に相反するとも限らない。しぶしぶにしろ死を受け容れることがありうる。宇都宮氏は「従容として」死を受容するひとにとって、生の受容(いい人生だったという肯定的受容)が含まれていなければならないという。つまり、自分の人生の肯定的受容と死の消極的受容とはある意味、結合しているというのだ。それは、 「精一杯生きたという何ほどかの充実感を持ち得た時」とは、まさに岸本英夫が言っていた「よく生きる」ことができたという自己評価をもって、自分の人生を肯定しえたときに持ち得る充実感のことであろう。そうした充実感をもって人は「別離の悲しみ」を持ちつつ、「生を手放す勇気を持」つことができるということだろう。自分の人生の肯定的受容と死の消極的受容とがあわさっているのである。