カント「純粋理性批判」について(続)

中山元氏訳の第一分冊は超越論的感性論となっており、そのすべてが「空間について」と「時間について」である。カントの認識論の非常に詳細な説明で、読解するのにさほどの困難はないと思われる。

 しかし、個々の用語をしっかりと腑に落としておかないと、困難にぶつかるかもしれない。

 

 「直観」という語が多用される。中山元氏訳の訳注には、「すぐに疑問の余地なく理解できることを意味する語(P250)としている。また、「観る」という意味もあり、「対象を看取する」意味もあるが、ドイツ語ではAnschauung、動詞はanschauenで、「見る,見つめる、注視する」「じっくり見る」という意味がある。しかし、「直観する」という言葉を「じっくり見る」と解釈しても文脈の意味を理解することはできない。では、どういう意味でカントはこの言葉を使っているのか。

 「わたしたちは対象から触発されるという方法で、対象の像[=表象]をうけとるのであるが、この像をうけとる能力(受容性)は、感性と呼ばれる。だからわたしたちにはこの感性を介して対象が与えられるのであり、この感性だけが直観をもたらすのである。」(p70)「感性による直観には空間と時間という二つの純粋な形式が」(p75)ある。

 これは「感性による直観」には「空間的時間的な位置を確定させる」形式があると読み換えていくとわかりやすい。(中島『カントの自我論』p188-191)つまり、「直観する」は「空間的時間的な位置を確定する」という意味にとれば、すっとわかる。

カント「純粋理性批判」について

  序文

    緒言

 Ⅰ 超越論的原理論

 第一部門 超越論的感性論

 第二部門 超越論的論理学

  緒言 超越論的論理学の構想  

  第一部 超越論的分析論       

  第二部 超越論的弁証論

     緒言 

     第一篇 純粋理性の概念について

     第二篇 純粋理性の弁証的推理について

      第一章 純粋理性の誤謬推理について

      第二章 純粋理性のアンチノミー

      第三章 純粋理性の理想

     超越論的弁証論・付録

 Ⅱ超越論的方法論

 

以上がカントの「純理」(「純粋理性批判」を縮めてこういう)の構成である。

 

 カントの難しさは、用語の難しさにある。それだけでなく、カントの認識論の独自性があると思われる。その独自性を前提として理解しておかなければ、カントの議論は無駄な、退屈な議論となって、読者を辟易させるだろう。

 せっかく、「人生の意味とは?」「生きるってどんな価値があるのか?」とか「人間の自由とは」「魂は不滅なのか?」「神は存在するのか?」「絶対的真理はあるのか」という切実な問いを考えたいひとがいるのに、カントは、非常に硬く、わかりにくい文章を書き連ねて、当のその人を辟易させて、遠ざけてしまうのだ。

 

では、大事なその前提はなんだろうか。

それは、「独我論」といわれるものだ。(中島『カントの自我論』日本評論社

それは、「森羅万象(世界)は私の表象である」という超越論的(独我論)観念論というものなのだ。

 

 カントは、ひとがものを認識する仕方は、ものが、人間の感官を触発して、表象を構成するのだという。当時、ものを認識することとは、ものを脳が模写することとされていたが、カントは、人間が表象を構成するのだという。

では表象とはなんだろうか。「表象」とはVorstellung 眼前にないものを思い浮かべることで、「表象されたもの」とは「眼前に知覚されている対象自体ではなく、私の心的世界(Gmuet)の「うち」に取り込まれた対象のあり方である。」(中島義道『カントの自我論』日本評論社p34)

カントの使い方で、「表象としてのバラ」を例示すると、

1.私が<いま・ここ>で知覚しているバラ

2.私が昨日見たバラ

3.他人がいま世界のどこかで見ているバラ

4.誰も見ていないが現に存在しているバラ

5.誰も見ていなかったが現に存在していたバラ

つまり心像や意味ではなく、一つの時間・空間における、ある場所に実在するバラのことだ。

カントの認識論が「独我論」といわれるのは、「森羅万象(世界)は私の表象である」と言うからだ。

 

ここで、「超越論的」の意味をカント自身の文章で確認する。

「わたしは、対象そのものを認識するのではなく、アプリオリに可能なかぎりで、わたしたちが対象を認識する方法そのものについて考察するすべての認識を、超越論的な認識と呼ぶ。」(カント『純粋理性批判中山元訳、光文社古典新訳文庫第一分冊p.57)

アプリオリ=一切の経験に先立つ)

非常にわかりにくいが、一つわかりやすい例を示す。

超越論的観念論と経験的実在論の違いについて。(中島義道『カントの自我論』岩波現代文庫の序章p9)

この概念は地動説と天動説のコペルニクス的転回にたとえるとわかりやすい。天動説(経験論的実在論)は見えるがままにあるという一重の視点であり、経験的に納得しやすい。地動説(超越論的観念論)は見えるようにあるのではない。しかし、太陽からの視点で見える世界の光景を表象することで、二重の視点を持つことができる。地動説はあくまでも概念であり、観念であり、表象である。しかし、物理学的数学的実在世界を開く鍵である、というものだ。

 

不在の哲学

中島義道は、『不在の哲学』で書いている。

 「これまで、さまざまな哲学者が無について語ってきたが、そのほとんどは(私見によれば)不在なのであって、無ではない。無と不在との違いの一つは、前者にはそれを語る視点がないが、後者にはその視点があるということである。私は他人の死について『彼は死んでしまった』と語れるが、『私は死んでいる』と語れない。なぜなら、私は他人が死んでも私の視点を有するが、私が死ぬとその視点を失うからである。」(中島義道『不在の哲学』ちくま学芸文庫2016年2月10日p9-p10)

 不在とは、日常語として話し言葉で使用されるのであるから、「実在」の対立的概念として使用する場合、「不在」=非実在=非在と解したほうが、わかりやすいかもしれない。しかし、「もうない」「まだない」という否定性と「実在しない」という否定性は中島の考えにそって考えると、差が大きい。過去はもうないからといって、過去は実在しないとは言えない。過去は実在したのは間違いない。ただ、今はもうない。過去は実在しないのではなく、かつて実在し、今や不在ではある。それは「意味構成体」として人間の想起経験、あるいは、記録(歴史)の中にある。そうすると、やはり、「不在」=非実在=非在ではない。不在とはそういった極めて特別な概念なのである。

 中島は、「不在」という概念こそ、「言語を学んだ有機体」(人間存在)が駆使しうる能力なのだという。人間は言語を学んだことで、否定の文法を学ぶことができた。否定語を操ることで、観念のまとまりを複雑に表現することができた。過去を記憶し、未来を予期予測するには、否定の文法が必要なのだ。今は実在しないが、想起するという経験で、不在となった過去を蘇らせる。過去は記憶となり、記録となり、今、そして、未来に向かって「生きる」ための貴重な情報の蓄積庫となる。未来は、まだない。しかし、過去と今現在のためには、この未来という期待がなければ、人間は生きていけない。不在の、しかし、本当の無である未来は生きていく人間の必須の時間である。

 

死生学

岩崎大『死生学ー死の隠蔽から自己確信へ』

岩崎大氏は『死生学ー死の隠蔽から自己確信へ』(春風社、2015年1月25日)で書いている。

「『死とは何か』の答えは『生とは何か』の答えとして十分ではない。死を『生きていないこと』、『生の否定』とするならば、そこには死のみならず、誕生以前の状態も該当する。誕生以前の状態を死とは呼ばないのであれば、生であるか死であるか(生でなければ死、死でなければ生)という排中律は成立しない。すなわち人間は、生きているか、死んでいるか誕生していないかのいずれかであり、それゆえに『生とは何か』を導くためには『死とは何か』のみならず、『誕生していない状態(あるいは誕生)とは何か』が解明されなければならない。」(岩崎前掲書p11)

 こうして、生と死を考察すると、「生にとって死は必然ではなく、ある範囲の生物が現状として不可避的に負っている現象にすぎない。あるいは外的要因による死を必然として、死の確実性を確保する場合であっても、死は必ず生の後にあり、死はなくても生は成立するため、生の定義に死は必要ない。この点からすれば、死の規定は生の規定に至らず、遺伝学的には性に結びつくものであり、生の規定は生の必要十分条件である誕生のほうに求めるのが妥当である。」結局、「生と死の関係における死は、生の一側面にすぎない。」(岩崎前掲書p12)そうとすると、われわれ人間の「自らの生にとって、死がどれほどの意味をもつのか(というこの問い)。個々の価値判断にゆだねられるこの問いは、問いとして意識されることすらない。それほどまでに、生きている者にとって、死は力をもたない。」(岩崎前掲書p14)

 要するに、死の考察は狭く、(死は直接経験できないという)「不可知性」、死の考察など不要だとする「不要視」されているのが現状だという。

 

ハイデガー

ハイデガーは1889年、「南ドイツの深々とした田園地帯(メスキルヒというドナウ川の近くの町であるー引用者)に、カトリック教会(聖マルティン寺院)の堂守の子として生まれた。質素な生活。だが世界は満ちたりていた。伝来の信仰がそれを補強した。秀抜な学業成績。当然のように神学生の道を歩む。将来の神父職を夢みる俊英だった。」(古東哲明『ハイデガー=存在神秘の哲学』講談社2002年3月20日p38-p39)しかし、1909年(20歳)秋、最初の心臓発作に襲われた。(神経性心臓病だという。)続いて、1911年、1914年、1915年と連続して心臓発作に襲われた。当然聖職につくという道も断たれた。そして、第一次大戦という大戦争に巻き込まれた。敗戦後のドイツの「混迷と不安の渦」に呑み込まれた。「度重なる発病。そのほとんど生を揮発されたような神学徒生活のなかで、しかも戦争で残虐の野原と化した焦土のなかで、むしろだからこそかえって、それまで見失われ、忘却されていたものがあぶりだされてきた。」(古東、同書p43)「なんであれ、そのなにかが非在化したり、喪失の危機にさらされたり、破綻に追いこまれるとき、そのなにかのリアリティ(真実在)が、ありありと露光するものだ。病が、健康な生のリアリティをはじめて痛感させるように。別れや祭りの後の哀しい空虚感が、出会いや祭りのさなかのときめきを、かえってあぶりだす逆説のように。俗にいう、無くなってわかるなんとかの在りがたさ(存在の稀有さ)。・・・・・ハイデガーはそのことを『不在ゆえの現前』となづけ、・・・・・あえてなにかを隠す(無くす、壊す)ことで、そのなにかのリアリティをあぶり出」したという。(古東、同書p78)こうしてあの『存在と時間』が生まれた。

 

鹿野忠雄の文章

「風表を除けて谷間に下りたせゐか、風当りは弱くなって、やがて何時ともなく静まつた。柔い触感を以ってソットかき抱く様なベニヒとニヒタカゴエフの麗しい針葉。森の木下道は人の心を優しくする梢を通して漏れて来る雨滴の音に聞き入り、無邪気な小鳥の声に耳澄まし、果ては森を離れた白雲の動きに見とれては、僕の心は間もなく全き平静の故郷へと還る。あの風を憎むまい。此の雨を怨むまい。人は自然の与へるものを素直に受け入れて最善を尽くしてさへ居れば可いのだ。森を静かに濡らして行く雨が僕の魂へも滲み透る。悔いのない気分が僕を澄み切つた水の様に支配する。(改行)蕃人がとても神寂びた蕃歌を歌ふ。それが森の中に不可思議な反響を以て籠もる。此の原始な人間の唇から漏れる韻律は、此の場合西欧の如何なる偉大な作曲家の創造にもまして、僕の魂に徹する。新高裏の太古差乍らの森林、我々と遙かな時代を隔てる此の古代人。此の二者の織りなす幽玄な諧調。僕の血潮に忘れられて居た或るものが、時ならず目覚める。台湾の自然の中に我々の求める一つのものは、確かに此の原始ではなかつたか?微笑まずには居られない様な歓びの火が、僕の胸の中に灯される。」(鹿野忠雄「秀姑巒山脈の縦走」(『山と雲と蕃人と』昭和16年中央公論社所収)、奥本大三郎『虫の宇宙誌』集英社昭和59年6月25日からの引用p95-p96)

 この人の描写は、「不在の現前」の描写はない。自然と古代人の「織りなす幽玄な諧調」を聞くことへの「歓び」に満ち、台湾の天然自然への没入(この世への没入ではなく)をとおして、この世から一歩二歩も超越した、慈愛の視線そのもののように感じられる。

 

経験主義について

野矢茂樹は野矢の師匠だった大森荘蔵を評して、こう書いた。

「大森は生涯経験主義者であり、かつついでに言わせてもらうならば、独我論者であった。」(野矢茂樹大森荘蔵―哲学の見本』講談社、2007年p.181)

 経験主義者とは、経験を超えるものを否定する者のことである。経験主義者はデカルトスピノザらの主張、つまり人間には生得的な「本有観念」(=人間の理性にあらかじめ備わっている働き)があるとする「合理主義」を否定する。「知識の源泉はもっぱら外界の存在にあり、人間が感覚を通してこれを経験することから(人間の)認識は始まる」(岩田靖夫他『西洋思想のあゆみ』(有斐閣、1993年 p.211)と考えるのが経験主義である。

 そして、大森は「独我論」者であるともいう。

 独我論とは、サルトルが書いたように、「私の外には、何ものも存在しない」(サルトル『存在と無』第二分冊人文書院、昭和33年2月25日p28)とする考え方である。(下記ウェブ参照)https://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/36.html

 私たちは普通、常識的な実在感情を持つ。それは、私たちの視野からは見えないものについても、それが実在することを当然のこととする。たとえば、私たちが机を見るとき、私たちが見ることができない裏も素朴に実在すると信じている。裏に回れば、「これ、この通りある」と言って、その実在を実証したつもりになっている。また、「仮象」(見かけ)の事象(太陽が東から昇るという現象)について物理学理論が補正することに対してあっさり物理学の見方を承認する。そこには徹底的に「理詰め」で事象の在り方を追い求めることはしない。

 世間一般の人が思っている「経験主義」については誤解がある。真正の「経験主義」とは、常識的実在感情とは鋭く対立する側面があるのである。 経験というものを突き詰めると、現実の存立基盤が崩壊する。それを示したのが大森であった。

 たとえば「痛み」とはなにかと大森は問う。そして大森は書く。どう考えても「痛み」とは物理的には存在しえないものだ。それは自我や意識、精神、私が物理的に存在しないという意味で存在しない。たとえば、私が指を怪我したとき、傷ついた指は皮膚が破れ、静脈の血管から血が噴き出るのであるが、細胞組織が破壊されてしまうだけで、そのことと私が「痛み」を感じることとは別物である。「脳が痛みを感じる」というのも正確ではない。私が感じるのであり、脳が感じるのではない。人間の大脳(前頭前野)は物(神経細胞の固まり-たんぱく質・脂肪・無機質)であり、そのどこを探しても、「私」という存在は見つからない。もし、私が脳のどこかに存在するとしたら、そこは、物以外のなにかが存在することになる。すると、その部分は物がないことになる。しかし、脳のどこを探しても、物以外のものを見つけることはできない。物以外のものがあるとすると、物理法則が変わるが、そういう観察はなかった。しかし、知覚やクオリア(感覚質、質感)、観念や意味の世界はある。物と心の二元論ではこのアポリア(哲学的難題)は解決できない。バークリのように、「物質世界は実は知覚集合」なのだ。(大森荘蔵「物としての人間と心としての人間」『科学時代の哲学』(『人間と社会』第2巻培風館1964年10月、『大森荘蔵著作集』第2巻p.110)