心理主義(心理学至上主義)の根本態度

ヴィクトール・フランクルは書いている。

「それ(心理主義)は価値を貶める」。つまり、「心理的行動過程(それは心理主義によってよく評価されている)の精神的内容の価値を貶めようとする」。「心理主義は常に精神的なものの仮面をはごうとし、無理やりに暴露しようとし、常に本質的でない神経症的な、あるいは文化病理学的な動機をさがすのである。」(ヴィクトール・フランクル『死と愛』みすず書房昭和36年4月15日p26)

 「宗教的、芸術的、また学問的領域における妥当性の問題」、つまり宗教の教義や芸術の造形物、学問的な著述などの「内容的領域」を評価するのではなく(心理学者にはそうした能力はない)、そうした文化領域への逃避だとする。芸術は、どのような素晴らしい作品であれ、芸術家の「生活、あるいは愛からの逃避に『他ならない』し」、宗教は、それがどのような宗教教義であれ、結局は、「自然の暴力に対する原始人の恐怖」から出来上がったものであり、「精神的な創造一般」についても、創造した人間の性欲を昇華させたものであり、「単に劣等感の補償、あるいは自己維持傾向の手段」に過ぎないという。すると、ゲーテだって、「本来は一人の神経症者に過ぎなかった」というようなことを平然とのたまうのだ。

「外面的にあまり魅力のない人間が、著しく美しい人間にとってはいわば自然に手に入るものを、無理に求めようとすることは、心理学的にもとより理解できることである。醜い人間は、彼がそれを愛の生活において重く見れば見る程、それだけ一層愛の生活を過大評価するであろう。然しながら愛は実際的には生命を意味で充たす一つの可能な機会ではあるが、しかし必ずしも最大の機会ではないのである。もし生命の意味が愛の幸福を体験するか否かにかかっていたならば、彼はその外貌を悲しみ、その生命を貧しいとよびうるであろう。しかし実際はそうではないのであって、生命は無限に豊かな価値を実現する機会をもっているのであるのであり、それはわれわれが創造的な価値実現の優位ということを考えるだけで明らかである。愛し愛されない人間もしたがって彼の生命を最高に有意義に形成しうるのである。」フランクル同書p156-p157)