鹿野忠雄の文章

「風表を除けて谷間に下りたせゐか、風当りは弱くなって、やがて何時ともなく静まつた。柔い触感を以ってソットかき抱く様なベニヒとニヒタカゴエフの麗しい針葉。森の木下道は人の心を優しくする梢を通して漏れて来る雨滴の音に聞き入り、無邪気な小鳥の声に耳澄まし、果ては森を離れた白雲の動きに見とれては、僕の心は間もなく全き平静の故郷へと還る。あの風を憎むまい。此の雨を怨むまい。人は自然の与へるものを素直に受け入れて最善を尽くしてさへ居れば可いのだ。森を静かに濡らして行く雨が僕の魂へも滲み透る。悔いのない気分が僕を澄み切つた水の様に支配する。(改行)蕃人がとても神寂びた蕃歌を歌ふ。それが森の中に不可思議な反響を以て籠もる。此の原始な人間の唇から漏れる韻律は、此の場合西欧の如何なる偉大な作曲家の創造にもまして、僕の魂に徹する。新高裏の太古差乍らの森林、我々と遙かな時代を隔てる此の古代人。此の二者の織りなす幽玄な諧調。僕の血潮に忘れられて居た或るものが、時ならず目覚める。台湾の自然の中に我々の求める一つのものは、確かに此の原始ではなかつたか?微笑まずには居られない様な歓びの火が、僕の胸の中に灯される。」(鹿野忠雄「秀姑巒山脈の縦走」(『山と雲と蕃人と』昭和16年中央公論社所収)、奥本大三郎『虫の宇宙誌』集英社昭和59年6月25日からの引用p95-p96)

 この人の描写は、「不在の現前」の描写はない。自然と古代人の「織りなす幽玄な諧調」を聞くことへの「歓び」に満ち、台湾の天然自然への没入(この世への没入ではなく)をとおして、この世から一歩二歩も超越した、慈愛の視線そのもののように感じられる。