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死について

中島義道氏は『「生きることも死ぬこともいやな人のための本』(日本経済新聞社2005年p201あたり)で、死について次のように書いていた。(要約

—ひとがある日、完全に消滅してしまうこと。この宇宙の果ての果て、何億光年の時間が経過しても、ひとは生き返ることはない。かつ、宇宙、とりわけ、この地球もいつか(あと5億年か?途方もない時間ではある)終焉を迎える。

 ただし、人間は自分の死を経験しても、他人に伝えることができないので、いま・ここで生きている人間は、人間の死後がどうなるのかわからない。したがって、とりあえずの現代科学がなす予想にすぎない。死後どうなるかは、誰にも言えないが、はっきりしているのは、現世でのいまのような生活はできないということだ。だから、上のように言っても、死後の世界があっても、死の意味はおなじようなものだ。 

 しかしながら、死のことを考えるのはものすごく恐ろしい。昔、ぼくもその考えに囚われて、恐怖に冷や汗をかいた憶えがある。これは誰でもが経験するものではないようだ。こうしたことを普通の人は考えないらしい。生の不条理とはこのことなのに。本来、死は覚悟するべきものだが、いつもはごまかして生きるものだという。そうでなければ日々の暮らしをすすめることができないからだ。

 ただし、正確に言うと、「死を見つめることを避け、死に至っていることを自覚も覚悟もしない」という「世人」の態度は、ニーチェが言ったような、「虚偽、しかもそれなしには人間が生きてゆくことができない虚偽」の態度なのではないか。ニーチェはそうした「虚偽」をこそ、世人は「真理」なのだと言うと言った。