「今を生きる」とは何か

 「未来を想像する能力を手に入れた人間は、『自分が死ぬ』という未来も想像できるようになってしまった。挙げ句の果ては、『人は死んだらどうなるのか?』とか、『人は何のために生まれてきたのか?』とか、考え出す。そして、『生きるのがつらい』とか、『死んで楽になりたい』とか、とても生き物とは思えないようなことを言い始める。そんな生き物は他にいない。そんなことを考えるのはヒトだけだ。すべての生き物は『今』を生きている。大切なのは『今』である。今、命があるのだから、その命を生きればいい。ただ、それだけのことである。」(稲垣栄洋『生き物の死にざま はかない命の物語』草思社 2020年7月14日 p216-p217)

 稲垣は「すべての生き物は『今』を生きている。大切なのは『今』である。今、命があるのだから、その命を生きればいい。ただ、それだけのことである」と書いたが、この文章はとてもわかりにくい文章である。つまり「今を生きる」とはどんな生き方なのか。それがハッキリと明確になっていない。

 そもそも「今」とは何だろうか。

 稲垣は「今」について、過去と未来の間の「点」、絶えず過去から未来へ移動している今=現在時点のことを「今」と言っているのだろうか。つまり、「今」とは時間的にはリニア時間(直線時間)上を刻々と運動していく点としての「今」のことだろうか。では、「今」を生きるとはいかなることを意味しているのだろうか。

 今という時間について考えると、「今を生きる」ことのわかりにくさが露呈する。



入不二基義『現実性の問題』

 入不二基義は、『現実性の問題』の第9章「『無いのではなくて存在する』ではなく」において「ぜ何もないのではなく、何かがあるのか - Wikipedia」という形而上学的な問いについて次のように書いている。

「この形而上学的な問いを、私は『斜めから』眺めてみたい。ノージックやヴァン・インワーゲンのように『正面から』立ち向かうのではなく、その問いの媒介部分である『ではなくて』を疑問視したい。何かがあること(存在)と全く何もないこと(無)を『(一方)ではなくて(他方)』という排中律保存的な否定関係によって媒介することは、形而上学的な問いとして不徹底なのではないか。そういう疑念を持っているからである。

 私のその疑念が行き着く先をあらかじめ述べておくならば、次のようになる。『ある』こと(存在)と『ない』こと(無)を、それぞれ形而上学的に追い詰めた場合には、すなわち、もっとも強力な『ある』ともっとも強力な『ない』に至ったところで考察した場合には、『(ない)ではなくて(ある)』のように否定関係によって媒介できなくなるだろう。むしろ『(ある)かつ(ない)』という単一体を形成する矛盾になるか、あるいは(ある)と(ない)は端的に無関係になるか、のいずれかになるだろう。要するに、『存在と無』の関係について、私は次の1を退けて、2・3を受け入れる。そこまで形而上学的に追い詰めれば、かの形而上学的な問いは、(1に基づくので)生じることができなくなる。

1 排中律保存的な否定関係

2 単一体形成的な否定関係

3 端的に無関係」(入不二基義『現実性の問題』筑摩書房 2020年8月10日 p328-p329)

確かに排中律はAか非Aかという二択以外を排除する考えで、現実はAかつ非Aもありうる。また、あってもなくても無関係であることは多い。

死に関するサルトルとハイデガー

 サルトルは「私の死」というところで次のように書いている。

「それ(死)は、私のすべての可能性の無化として、それ自身もはや私の諸可能性の一部をなさないところの無化として、とらえられる。」(サルトル存在と無』第三分冊 人文書院 昭和45年(1970年)12月20日p238)

「(主観的な個人としての私にとって)の死は、決して、人生にその意味を与えるところのものではない。むしろ反対に、死は、原理的に人生からあらゆる意味を除き去るところのものである。」(サルトル同書p244)では誰が死んだ人間に人生の意味を与えるのか。「死の存在そのものは、われわれ自身の人生において、他者の利益のために、われわれをそっくりそのまま他者のものたらしめる。死者であるとは、生者たちの餌食となることである。」サルトル同書p252)「死ぬとは、もはや他人によってしか存在しないように運命づけられることであり、自分の意味や、自分の勝利の意味そのものをまでも、他人から頂戴することである。」(サルトル同書p253)「死は、一つの偶然的な事実である。」(サルトル同書p256)「われわれが生まれたということは、不条理である。われわれが死ぬことも不条理である。」(サルトル同書p259)「まさにわれわれは、つねに、おまけに死ぬ」。(サルトル同書p262)

 サルトルハイデガーの『存在と時間』への反論として「私の死」論を書いている。サルトルハイデガーの次のような文章への反発として上記の文章を書いたのではないかと思う。

「宿命的な現存在(人間存在)は、世界-内-存在として、本質上他者と共なる共存在において実存するかぎり、そうした現存在の生起は、共生起であって、運命として規定されている。この運命でもってわれわれが表示するのは、共同体の、民族の生起なのである。運命が個々の宿命から合成されないのは、相互共存在が、幾人かの主体がいっしょになって出来したものだと解されえないのと、同様である。同一の世界の内での相互共存在において、また特定の諸可能性に向かっての決意性において、さまざまの宿命はもともとすでに導かれていたのである。」(ハイデガー存在と時間中央公論社 1998年3月25日 p593)

 もちろん、個人の死は他有化(生者たちの餌食)される場合もあるが、世界-内-存在、歴史-内-存在(廣松渉の言葉)として生まれた現存在は、宿命(被投性、事実性、そこに偶然に産み落とされたこと)としてはじめから共存在(対他存在)として実存する。相互共存在として在る現存在は死によって現存在の生の意味を奪い去られるとは限らないのでないだろうか。



高崎将平は『そうしないこともありえたか?―自由論入門』

高崎将平は『そうしないこともありえたか?―自由論入門』(青土社 2022年9月28日)で自由論について英米の哲学者の議論を紹介している。 

 決定論や運命論と自由は両立するのか両立しないのか。この場合、自由とは、高崎が述べてきた「自由の他行為可能性モデル」における自由だろう。「私たちが自由であるとは、私たちに開かれた複数の選択肢のうちから、一つの行為を選び取ることである。ここで、複数の行為の選択肢が私たちに開かれていると言えるためには、それぞれの行為を私たちが行うことができるのでなければならない(行うことのできない行為は、そもそも私たちに開かれた選択肢とは呼べないだろう)。

 その「自由の他行為可能性モデル」とは「行為者Sがする(した)行為Aが自由であるのは、行為者Sがそのときに行為Aとは別の行為をすることもできる(できた)ときに限る。(高崎同書p95)

 フランクファート型事例は「自由の他行為可能性モデル」に対する疑義をもたらし、そこから「自由の源泉性モデル」という考え方が優勢となった。しかし、高崎は、「自由の他行為可能性モデル」のもう一つの疑義を考えたいという。それは、そもそも決定論や運命論と自由は両立しないのかという疑義である。自由と決定論が両立しないと論証するのは難しいらしい。カントは自由の因果性と自然の因果性の両立を論証しようとした。おそらくカントは自由と決定論の両立論者だったと思われる。

 

朴修範『カントの超越論的観念論についての考察』

 朴修範は、カントの『純粋理性批判』における「触発」について書いている。

《.......現象が仮象ではなく現実的に与えられたものと見なされるためには対象によって主観が触発されるという事態が必要である。しかしながらそうだとすれば当然ながら主観を触発する対象が存在しなければならないことになろう。対象から触発されることによって初めて現象が与えられるゆえ、主観を触発する対象は主観と切り離された物自体でなければならないであろう。  しかしながら、私たちの受容性を物語っている「触発」という概念に関して、触発する対象を物自体と見なすことはできない。というのも既に確認されたように、物自体は論理的可能性としての消極的意味でのヌーメノンとして思考されうるにすぎず、知性的直観を前提しなければならない物自体に現象の存在根拠を帰することはできないからである。触発という事態のアポリアヤコービは次のように語っている。「私は[物自体という] 前提なしにはその体系内に入ることができず、そしてあの前提を持ってはその体系内にとどまりえない」 。しかし前節でみたように、物自体をカント哲学の体系への入り口に位置づけることはできない。というのもカントの現象概念からは物自体に関してそれを肯定も否定もできなかったからである。それゆえもしもカント自身の体系には収まりえない物自体をまず前提した上で自らの体系を構築したのであれば、そのような体系ははじめから自己矛盾を内包することになってしまう。 このように触発という事態がもし触発する対象としての物自体の存在を要求するかぎり、 現象としての「或るもの」の存在根拠が主観と無関係な物自体の存在に基づくことになってしまう。ところがそのような見方は上で見たように、物自体に対するカントの立場そのものを否定することによってのみ生じうるのであり、その結果超越論的観念論はもはやカント自身が批判する「超越論的実在論」(A369)になってしまう。しかし触発概念は、現象の存在根拠としての自体的な存在を予め前提したものではなく、現象の存在に関してのみ持ち出されたものなのであろう。》(朴修範『カントの超越論的観念論についての考察 : 『純粋理 性批判』における認識と存在の関係』p31-p32)(PDF資料 九州大学学術情報リポジトリ

「触発する対象を物自体と見なすことはできない」とすると、触発するもの、その源は何なのだろうか。朴は「私たち人間の受容性を表している触発という事態は、主観を触発する対象としての物自体の方からではなく、対象によって触発される主観の方から改めて考察されることによって明らかになると思われる。」(朴同書p33)という。

《触発の事態が現象の確固たる存在根拠でありうるのは触発の事態が次のようなことを意味しているからであろう。すなわち触発されるという事態は、存在と無関係なまだ触発されていない主観と、そしてそのような主観を触発する対象としての物自体とを最初から切り離されたものとして予め前提にした上での事態ではない。そうではなくて、触発とは既に触発されていて、現象としての「或るもの」の存在と常に結ばれているという私たち人間の存在に対する受容的な在り方を表しているのである。

 本章においては、カントの超越論的観念論に対する従来の一般的な解釈が観念論か実在論かという二者択一の立場をとらざるをえなかった理由が確認されている。すなわち、触発とは物自体を前提にした事態だと見なすことである。ところが触発の事態即物自体という連鎖を断ち切ることによって、カントの認識論は一般的な意味での観念論および実在論からは簡単に位置づけることができないのも明らかになっている。》(朴同書p37)

 朴は「触発とは既に触発されていて、現象としての『或るもの』の存在と常に結ばれているという私たち人間の存在に対する受容的な在り方を表しているのである」と結論づけるのであるが、その「或るもの」とはやはり「物自体」なのではないのか。「対象から触発されることによって初めて現象が与えられる」ときのその対象は「超越論的客観」あるいは「超越論的対象」とカントは呼んでいる。それは、触発という役目を担った物自体の別名である。

 朴は《触発の事態が現象の確固たる存在根拠でありうるのは触発の事態が次のような ことを意味しているからであろう。すなわち触発されるという事態は、存在と無関係なまだ触発されていない主観と、そしてそのような主観を触発する対象としての物自体とを最初から切り離されたものとして予め前提にした上での事態ではない。そうではなくて、既に触発されていて、現象としての「或るもの」の存在と常に結ばれているという私たち人間の存在に対する受容的な在り方を表しているのである。》と書いている。

「既に触発されていて、現象としての「或るもの」の存在と常に結ばれているという私たち人間の存在に対する受容的な在り方」について、「既に触発されていて、現象としての『或るもの』」とは何だろうか。「既に触発されていて、現象としての『或るもの』の存在と常に結ばれている」のが「私たち人間」であるとはどういう意味だろうか。

 また、「存在と無関係なまだ触発されていない主観と、そしてそのような主観を触発する対象としての物自体」を切り離されたものではないとすると、この二つは一体のものなのだろうか。朴は結論を持ち越しているように思われる。

人間の人生を考えてみる

「人生はまともじゃない。ひとは断りなしになかに入ってきて、行く先もわからずに出て行く。しかもそこにいるときは何をしているかわかっていない。」

上記の文章を読み解くと、こうでしょうか。

①「人生はまともじゃない。」つまり、人間の生は理不尽であり、不条理であり、「まともじゃない」。いろいろな点で合理的ではなく、矛盾に満ちている。一番の不条理がどこかと言えば、ずっと無であったのに、突然生まれさせられ、たかだか100年に満たない生を生きさせられ、不意にその生を去ることを強いられる。そのあとは、(おそらく)永遠に無のままだろう。これは、まともなこと(尋常なこと)ではない。

②「ひとは断りなしになかに入ってきて」つまり、人間は生を享けるが、決して納得できる、満足できる、理想的な環境に生まれることはほぼない。両親を選ぶことも、両親の知性や所得水準を選ぶことも、兄弟姉妹も住む場所もなにもかも自分で選ぶことはできない。あらゆる事柄(容姿、体格、知力、親の資力など)がすべて与えられたもので、自他の誰の断りもなしに、ある場所とある時間に、あらゆる不可知の諸事情によって生まれさせられてきたにすぎない。しかも、そうした自分の周囲の理不尽に対して、ランダムでしかない環境について正確にその意味を了解できるようになることも難しいが、難しいと気づくこと自体、物心がつく(自己意識・知性・自我が生じる)十数年を経てから気づくのだ。

③「行く先もわからずに出て行く」つまり、自死の場合は別として、自らの希望や意思と無関係に死ぬ時期を与えられる。死とはどのようなものかもわからず、すなわち、死は生が単に断絶し、空無となるのか、死後に新たな世界があるのかということが全くわからないまま、生命が絶たれ、この世を去る。

④「しかもそこにいるときは何をしているかわかっていない。」つまり、人間の生とはなんなのか、人間の行為・行動の価値や意味はあるのか、ないならば、作り出すことができるのか、全くわからないままに、試行錯誤や悪戦苦闘の連続の中で過ごしていく。この生の中では、限られた知見しかないから本当は自分が何をしているのか、したのかは全くわからない。

 このように私の関心のもとに読み解いてきましたが、改めてこの文章の意味を考えてみました。

 普通の人は自分自身では、「何をしているかわかっていない」という自覚はありません。人は太古の昔から連綿と続く経済社会生活をしてきています。そして「本能的な人間の生活はかれの私的な利害関心の範囲内に閉じ込められている」((バートランド・ラッセル「哲学入門」角川文庫昭和40年4月10日p179 )としても、自分の「私的な利害関心の範囲内」のことは知っています。だから、「何をしているかわかっていない」という主張を聞いた人は違和感を持つでしょう。

 しかし、偶然にこの世に生を享けた人間の生について、その当人について、自分が生まれるずっと以前、自分が何億年もの間ずっと無であったにもかかわらず、当人は偶然にも生を享けたのです。そのような自分の人生は(宇宙全体からみて)つかの間(一瞬)です。100年に満たずに当人は死んでしまいますが、死んでからの後の未来は、当人が(おそらく)無のままに何億年という時間が過ぎていくことでしょう。そして、宇宙全体として見たとき、この地球すら、惑星の運命(物理法則)から計算すると、何十億年後に消失することが確実だとされています。こうして、この宇宙全体の星雲の行く末、その中の小さな惑星に一瞬間に生存した小さな生命である自らの生の宿命を眺め、「わからない。ほんの一瞬の自分の人生とは何である(あった)のか、その一瞬にどんな意味がある(あった)のか」と問うことは、当然の感慨だと思います。最終的にその短い生を終えるとき、どうしても解きがたい謎が残ります。私であること、私の生そのものとは何か、何であったのかということについて「わかっていない」(=「意味がわからないし、もしかしたら、意味もない偶然かもしれない」)という謎と、その類似の問いとして発せられる「なぜあるのか、むしろ無ではないのか」(「なぜ存在しているのか、存在させられているのか、むしろ無いのが当たり前、当然なことではないのか」)という問い、謎です。こうした謎と問いとともに、人は生の理不尽に対して恐怖と怒りと悲しみの感情を持つこともあるかもしれません。「突然生まれさせられ、たかだか100年に満たない生を生きさせられ、不意にその生を去ることを強いられる。そのあとは、(おそらく)永遠に無のまま」なのだから。人は「どうせ死んでしまう」(中島義道の慣用句)のだから。こんな残酷なことはないと叫んでしまうのも無理からぬことだと納得します。

 しかし、「人間の生とはなんなのか、人間の行為・行動の価値や意味はあるのか」という問いを考えたとき、一つの経験則として「人は何を言っているかよりも、何をしたかがその人の何たるかを決める」ということわざのようなものがあります。つまり、人間の生の集積は、人間の為したことの集積であるという事実です。先人、これまで100年足らずの期間を生きて死んだ無数の人類の行為の集積としての歴史的営為を眺めてみる必要があるようだと気がつきます。「突然生まれさせられ、たかだか100年に満たない生を生きさせられ、不意にその生を去ることを強いられる。そのあとは、(おそらく)永遠に無のまま」ではあるにしろ、その短い生でとにかく生きたこと自体が価値があると仮定してしてみることも一つの見識かもしれないと思い当たりました。

ほとんどすべてのアポリア(哲学的難問)の鍵は『可能性』と『現実性』をめぐってである

 

「ほとんどすべてのアポリア(哲学的難問)の鍵は『可能性』と『現実性』をめぐってであるように思われる。われわれが言語を学ぶと、世界をまず可能性の相で眺め、次にその一部が現実化したとみなすのだ。こうすると、地球が生まれたのも、人類が生まれたのも、私が生まれたのも、『奇跡』となってしまう。確率的にはほとんどゼロに近いほどのことが実現したのであるから。だが、客観的時間は一つしかなく、そこで実現されたのはすべて一度限りのことなのだから、この計算は無意味であるとも言える。しかし、ここに確率を適用することが無意味であろうと地球や人類や自分の誕生が奇跡的に思われる(思い込みたい?)という事実は消え去りはしない。」(中島義道『七〇歳の絶望』KADOKAWA 2017年11月10日 p92-p93)

 言語を学ぶと、言語を繋げて一つのまとまりのある命題を作ることが可能になる。こうして作られた諸命題の中に因果連関の命題が生まれる。因果の繋がりは、単なる一つの事実連関でしかない、しかし、そこにおける原因それだけでなく、他の考えられるあらゆる原因の可能性の集合を言語を学んだ人間は発見する。その可能な集合群の一つがある事象の現実的な原因であったならば、結果はどうなるかという、可能としての因果連関の命題が作られる。実際には、一つのある原因が一つのある結果をなして現実の事実連関があったにすぎないにもかかわらず、可能的な原因の中から一つの原因が選択されて、「確率的にはほとんどゼロに近いほどのことが実現した」と胸躍らせるのが言語を学んだ有機体としての人間の習い性だという。

 ここで、そうした一連の因果の連鎖を「奇跡」だという立場が一つ。

 もう一つが、「適合的因果連関」という言葉を作って、可能性の中の現実化した原因をことさらにクローズアップして、一つの「必然性の因果連関」の構図を作り上げるという、必然論を作りたがる人間も出てくる。そして、その選ばれた「適合的」原因を、ことさらにすばらしいと持ち上げる人間が出てくる。